デジモンテイマーズ第35話感想

デジモンテイマーズ第35話「その名はデュークモン!真なる究極進化」感想

脚本:小中千昭 演出:角銅博之 作画監督:信実節子 美術:清水哲弘 (2001/12/2 放映)

怒りと憎悪に染まるタカトが願った末に進化したのは、禍々しく知性もない究極体・メギドラモンだった。壊れるタカトのDアーク、テイマー失格?!母・真由美の悲しみ、大人に今できる事、悔いたタカトがギルモンとの出会いを振り返り唯一無二の存在と気付いたギルモンと共に歩む真の究極進化。
デュークモン進化に至る裏話。小中氏「いよいよギルモンとタカトが究極進化をする35話。私の感覚では4クール目頭かと思っていたが、3クール目が終わるまでまだ4話もある。(中略)クリスマス商戦の玩具発売を控えて、この辺りに出して欲しいというスポンサー要求があった。まだ残り話数を多く残している段階で、主人公デジモンの最上進化を見せてしまうのは(隠し球があるとは言え)、制作態勢的にもどうなのかとは案じつつも、最終回レヴェルのイヴェント回にしてしまった。/こうした回で角銅さんと組めたのが本当に有り難かった。今話についてはがっつりと会議で話し合いをしたが、その前の回についても立ち話だけれど相談をする事が出来た。/作画監督は21話でも角銅さんと組まれた信実さん。信実さんも多くの原画を描かれたという。原画にクレジットされた人の数は過去最大。(後略)今話では、物語として到達しなければならないものが先ずあるだけでなく、構成役としてはフォローしておかねばならない描写も入れ込む必要を感じていた。今後の展開に必要な要素も入れ込まねばならない。様々な計算と、やはり書く時の自分自身の情熱、そのバランスにはいつも以上に配慮した」。情熱、それがものを創る上で不可欠なんですね。
新宿中央公園から赤い光の柱が立ち上っている。小中氏「2018年のCDドラマで、中央公園の地下にヒュプノスの後継施設が作られているという設定にしたのだけれど、2001年のこの時には単に、ネットワークの集中ハブがあるという設定だったと思う」。
出かけると言い出したジャンユーを、真由美は呼び止める。シウチョンは香港の実家に行ったと嘘をついていたのだ。そんなのばれないはずもなく。夢で見た通り、シウチョンはジェンリャと同じ世界に行ったのではと問い詰める真由美。なぜうちの子ばっかり。心配そうに覗いているのはリンチェイ(兄)とジャアリン(妹)。後でゆっくり話す、と出ていってしまうジャンユー。後っていつよと泣き崩れる真由美…。小中氏「タカトや留姫の親に比べ、ジェンはジャンユーが物語のキーパーソンなので、父ばかりを描写してしまっており、真由美を描写する場面が少ないのは良くないと、こうした場面を書いた。ジャンユーの余裕の無さを表現する意図もあった。しかしこうして丁寧な演出と作画、安達まりさんによる演技によって突きつけられる、親の想いの重さ。/ジェンの冒険にはこうした代償もあるのだ」。不安な母の想いが伝わりました。
荒れ狂うメギドラモン、朱雀門の前で対峙するベルゼブモン。小中氏「メギドラモンの咆哮までも、野沢さんが当然のように演じられる(全然当然などではない)」。あまりに異形なメギドラモンに皆驚く。メギドラモンは尾でベルゼブモンを捕まえ、喰いつこうと迫る。よだれがベルゼブモンの体を溶かす、もう少しで喰われそう。
突如、地割れが起き、皆ばらばらになってしまう。メギドラモンの胸のマークが点滅する。ジェンが推察するに、この進化はDWそのものにまで危機をもたらす、あのマークはそういう意味だったのか。
都庁のヒュプノスに詰めている山木。画面一杯にハザードマークが。小中氏「ここで流れるBGMはこれまでも度々使われてきたが、映画「冒険者たちの戦い」の「メフィスモン復活」。いかにも「東映動画のマンガ的映画」的で昂揚する」。DWの最深部に強大なパワーが現われレイヤー自体を揺るがしている。到着したジャンユーに子どもたちの動向はわからないと山木。このハザードマークは恐らくは子どもたちの行動が関係しているとしか。アークを作っているのに間に合わないなんてと悔しがるジャンユー。彼らを信じる、大人が不可能な事をやってこられたのだからと山木。
荒野のあらゆる場所で、赤い光の柱が出現する。リョウとサイバードラモンのいる場所にも。こんなの初めてで、リョウにも詳細は不明だ。
必死に耐えているベルゼブモン、やめてというタカトの声が耳に入らぬメギドラモン。
小中氏「このメギドラモンへの進化の異常性に、思わずラピッドモンが漏らしたのはギルモンがウィルス種だという事だった。/胸にはハザード・マークが描かれ(このハザード・マークは本来は放射能汚染警告。バイオ・ハザードなど他の種類も概ね三点表示)、「罪」Guiltyを名の由来にしているギルモン(タカトはそういう意図では命名していないが)は、確かにタカトという人間の子どもが考えた事で生まれたデジモン。故にデジモンの世界をも破滅させるポテンシャルすらも持ちかねないのだ。/しかし、この「種」というのは単なる属性。対決した時のバランスの為のもの。アンティラモンだって本来はウイルス種だったが、デーヴァのアンティラモンはデータ種に変わっている。この「種」の軛は、自身の意思と行動で乗り越えるべき「運命」なのだ」。
「ヒーローのシリーズ物の場合、ルーティンとして毎回バトルがあるなら、端的に短く、印象的に描く。特撮であれアニメであれ、現場に負荷が掛かる。/テイマーズには毎回必ずあるという訳ではないバトルだが、それがあるという回のアクションは極めて濃い。今話は結局、ベルゼブモン対メギドラモンの対決だけの一話だとも言える。最後のシークェンスで真なる究極進化をするが、その結着は次回に持ち越される。/力が拮抗している者同士の対決を描くのは難しい」。待て次回。
メギドラモンの後方より来る光、それはマクラモンだった。こんな戦いを続けたら神の領域ならずDWそのものまで破滅する、と警告に来たのだ。何とも間の悪い。神の力で進化させてもらっただけの卑しいデジモンと呼び、結局はベルゼブモンに片手で潰されロードされた。デーヴァをロードするとは、まさに悪魔。
メギドラモンを止めなければ世界が危ういからと、傷ついたキュウビモンもラピッドモンも対抗しに行く。覚悟を決めたルキ、ブルーカードをスラッシュしタオモンへ進化。マクラモンをロードした分強くなったベルゼブモン、メギドラモンの下顎を持ち上げていく。タオモンとラピッドモンが技を放つが、マクラモンの技(宝玉)も使えるようになったベルゼブモンに捕まってしまう。このままロードされるよりはまし、とジェンはルキにも「エイリアス!」(分身)のカードを伝えて、二人スラッシュ。宝玉から逃れたが、タオモンとラピッドモンの能力はロードされベルゼブモンの手中となってしまう。力を増したベルゼブモン、それを制御しきれず悶絶の末、同化に成功する、雄叫び!その拳はメギドラモンへ向かい、最後の一撃を下す。のけぞり倒れていくメギドラモン、更に胸に足蹴りが飛び、崩れていく。
小中氏「ベルゼブモンは究極体とは言え、身長が2mもないデジモンだ。それが巨大なメギドラモンを倒すまでのパワーを、どう納得させられるだろうと考えて書いたのがこの展開。/ふつうは脚本で「上回るパワーで勝つ」なんて書いて、演出家に任せるのが本道かもしれないが、私は理詰めでないと自分が納得出来なかった。マクラモン、タオモン、ラピッドモン、その場にいるすべてのデジモンをロードしたパワーなら、、前話までのベルゼブモンにプラスされ得る。/身体がグロテスクに変形する表現というのは、「serial experiments lain」でも英利政美がリアライズする時に内臓表現も用いて描いた事があるが、こちらは日曜朝の子ども番組。血などは絶対に見せられない。ラピッドモン、タオモンのパーツは肉体ではなく、クロンデジゾイドというデジモン金属だから、それほど抵抗は無いだろう。最終的にはそれらも自らの躯にベルゼブモンは収めてしまうのだから。/この怪奇的描写は、ベルゼブモンという特異なキャラクターの見せ方としても決定的になるだろうと思い、角銅さんと相談してこういう描写をした。キャプチャでは判らないが、肉体変形は小刻みに前後するモーションで進行し、見ている側にまで力が入る。/まだまだ終わらないが、高橋広樹さんはこの回のアフレコで最低でも一日の喉は痛められたのではないか、と20年後に心配している」。「怪奇的描写」、ベルゼブモンの体に何が起きているのか、すごく印象に残りました。
メギドラモンは動かなくなり、ベルゼブモンの勝利の雄叫び。ついに本当に最強のデジモンに?タカトが見やると、ジュリは後ずさりして泣く、レオモンの喪失だけでなく可愛いギルモンまでが怪物となり、精神の限界。タカトは自分の行いを再認識することになる。
ヒュプノスではハザードマークが徐々に消えていく、何が起きているのかは不明。ヒュプノスを作り有頂天になっていた自らが愚かだと山木。「箱舟」の基本設計はできており、あとの膨大な計算については山木がヒュプノスの使用を認める。ジャンユーは山木を君付けで呼ぶ。二人はもはや戦友だ。「あの子たちは恐らく、自分たちも知らずこの世界を救おうとしているのかもしれない」。自分的にはキター!人類救済譚!
小中氏「1980年代にワイルド・バンチの、主にデイジーが手掛けていた「アーク」は、ネットワークと子どものインターフェイス・デヴァイスだった。それが、デジノームによってリアル・ワールドに現われたが、ジャンユーはまだそのプロセスは知らない。/ 今ジャンユーらが試みているのは、デジタイズした子どもたちを現実世界へ戻すためのプログラム。それを「アーク」と呼んでいる。これらは玩具設定には無く、商品名ディーアークから私が合理的な意味として見出した解である」。
朱雀門の手前で、ベルゼブモンはまだ苦しみもがいている。ロードしたデータの整理がまだ体の中でついていない。その間に皆は集まって一息。
意を決してメギドラモンに近づくタカト、全部僕が悪かったと。本物のデジモンを夢見て、描いて、夢が叶って、友だちになって、遊んで、話して、戦って─深く悔いるタカト。小中氏「このフラッシュバックは、1話、2話、8話(グラウモン)以外は、13話(信実さん作監)のパートが多い。特に13話の、かわいいギルモンとか、公園で並んで座るカットは、シナリオで書いておいて良かったとつくづく思った。/注意して見て欲しいのは、この場面でも、タカトではなくギルモンの方から、タカトを説得しているのだ。ギルモンはタカトの想念だけで生まれたのではなく、自身の考え、自我をしっかりと認識している存在なのだ。だがタカトを責めないで欲しい、樹莉に言葉にされるまで、この時この瞬間にこうした内省をできなかったタカトを─」。
ケンタがジュリに必死に呼びかける、しかしジュリは動かない。小中氏「なぜか、レオモンが消失してもD-Arkは消えていない。ノイズを表示し続けている。液晶表示についてはシナリオに無いのだが、今後の展開を考えて角銅さんと相談して入れて貰ったのか、今は覚えていない」。ヒロカズが仕方なく連れ戻そうとするが。ヒロカズ、男気ある~。女子の細やかな心情はわからなくとも。
力を制御し切ったベルゼブモン、有り余るエネルギー、完全に復活を遂げる。「俺は、俺は勝った!俺は最強のデジモンになったんだー!」
シウチョンはロップモンに、進化してやっつけてと言うが、ロップモンはできぬと。失望してシウチョンは泣き出してしまう。ジェンは手こずるが、ルキが大丈夫とフォロー。しかし泣き止まぬシウチョン。小中氏「留姫とシウチョンは、これが初対面なのだが、ジェンとどういう関係の幼い子なのかは察した。22話(吉村脚本)で、カードゲームを教えて貰いたがった樹莉に優しく接した留姫がここにいる」。
さてタカトとギルモン。小中氏「シナリオでは相当無茶な事を書いている。誰も見た事がないような体験を、タカト、そして視聴者にどう伝えたらいいのか、禁じ手までも使っている」。
神なんてもう関係ないが契約は契約、人間も食ってやると、ベレンヘーナを構えるベルゼブモン。ジュリが、タカトが、危ない!「いくら元がデータだからって、ギルモンはギルモンだもの!僕たち、ずっと友だちだった!」メギドラモンにすがり泣くタカト、するとメギドラモンの目に光が戻り。
小中氏「このみんなのタカトへの呼びかけは、全部口々に別の台詞を叫ぶ声が重なっている。放送業界では「クロストーク」というのはご法度。同時に違う人が喋ると視聴者が聞こえないからだ。トーク番組などでは当然遵守されるが、ドラマでもこれは普通やらない。やってはいけないという不文律がある。/ここでは敢えてそれを描写した。子どもたちの焦りがこうさせている。こういう事があったら、そうするだろうことを描写している。/そして、ここから映像内時間が強烈に遅くなっていく。/子どもたちの声が、テープレコーダーの回転を強制的に止める様に低下していき─ベレンヘーナの銃口が火を噴いた。超スローモーション。こうした表現は、2010年代のCGIを用いた実写では普遍的になった。更に遅くなっていく子供たちの叫び声─しかしタカトの時間はノーマル。「ギルモン、僕の友だち」ギルモンにタカトの声は届いて。嗤うベルゼブモンの声も遅くなり─タカトは呆然と立っている。そこは、タカトの部屋の中─」見回すと、棚の上にはアグモンのフィギュアが。小中氏「タカトが「デジモンが好き」というのをどう映像表現したらいいのか。カードを持っているだけでは伝わらない。ここで言う「デジモン」には、当然「デジモンアドベンチャー」というアニメの存在が大きいのは、視聴者がそうだからだ。しかし、あまりにメタ過ぎるのも混乱を招く。角銅さんと話し合って、これが最も適切だろうと考えたのが、アグモンというデジモンの代表に、フィギュアとして登場させる事だった」。デジモンが好きで、自分のデジモンを描いて。ギルモンの絵に涙が落ちる。「僕がギルモンと一緒に過ごしてきた時間は、絶対にリアルだった。僕たちが一緒に感じた気持ちは本物だった」するとギルモンの声が。「そうだよタカト、僕たちはずっと友だち」窓の外から赤い玉が迫ってきて、タカトを呑み込む。
そこは亜空間。無数の3Dのギルモンに囲まれるが、いくらデータが増えたって、僕と過ごしたたった一人の本当のギルモンはどこ。タカトから赤い道が伸びていき、その先には一体のギルモンが。タカトが進むごとに、ギルモンの複製は分解していく。そしてギルモンは目を開けた。それはまさにメギドラモンから戻った僕のギルモンだった。「ここにいるよ」「いてくれてありがとう、ギルモン」。
ここで銃弾が迫っているのに気付く。まだ残っているメギドラモンの尾のパワーで銃弾を振り払う。「タカト、一緒に戦う」ついに立ち上がる二人!BGMは「デジモンテイマーズのテーマ」。
小中氏「タカトがインナー・ワールドの中でギルモンと再び絆を取り戻す過程は、シナリオ以上に幻想的に演出された。/弾丸が発射されてからの時間の強烈な遅延は、海外のファンには伝わらないかもしれないが、70年代のスポ根アニメの話法が発想の元にあった。スポーツをモチーフにする映像作品ならば、多少はスローモーションにして要素を入れ込むという事は普遍的だが、かつてのスポ根アニメはピッチャーが球を投げる前から投げた時、そして打たれるまでの間に延々とモノローグやダイアローグが流れるといった極端な演出があった─という印象を抱いてた。「巨人の星」や「侍ジャイアンツ」といった辺りだとは思うのだが、私はスポ根物は子どもの頃は好きでは無かったので、どれが元型であったかは思い出せない。ただ、話法として面白いと思っていただけである。/ここで起こった現象をデジタル・ワールド内の現象として理解するなら、こういう事になる。時間とは総体的なものだ。タカトとギルモンが再び交感し始めてから(タカトの呼び掛けにメギドラモンのコアにあるギルモンの心が反応してから)の二人の情報のやりとりは、スーパーコンピュータ並みの超高速演算で情報が処理されていた。戦いで荒れ果ててはいるが、そこはネットワーク最深部。メギドラモンにまで進化したギルモンと、デジモンに極めて高い感応性を持ったタカトだから成し得たものだったのだ。/「タカト、ぼくはここにいるよ」この野沢さんのダイアローグに、いつも私は泣かされる。/タカトが、「ギルモンはデータ」と戸惑っていたのは、データであるなら幾らでもコピーが作れる、唯一無二の存在ではない、と思ってしまったからだった。そうではない。タカトの許に現われたギルモンは唯一の存在なのだ。それを表現する為に、「無数のギルモンのデュープ」が現われるが、タカトがそれらをすべて拒否する、という無茶苦茶なシナリオを、角銅さんは3Dで自らギルモンをモデリングして実際に描いてくれた」。
ギルモンが立ち上がり、「タカト、一緒に戦おう!」と。一瞬戸惑うが、「そう、いつだってそうだった。そうだよね、ギルモン!」ホルダーに銃を収めて、鋭い爪を誇示するベルゼブモン。ギルモンと一緒に戦うって、どうやって。ギルモンは「よくわかんないけど、タカトが一緒になるって思えば、きっとなれるよ」「僕は!もうギルモンの後ろにいるんじゃない!」共闘宣言。タカトとギルモンの下から上がった光が二人を包み、光るタカトの体とギルモンの体が重なって。小五の全裸、キター!美しい。
小中氏「ここからデュークモンの進化バンク。コンテ/演出が荒牧伸志さん。作画は中鶴勝祥さんによる。/究極進化曲「One Vision」(歌:谷本貴義 作詞:山田ひろし 作・編曲:太田美知彦)の‘デュークモン・ヴァージョン’(イントロ違い)が既に流れ始める。/初お披露目なので、まだタカトが得ていないD-Arkが手にあるのは大目に見て欲しい。ほとんど数フレームしか見えない」。谷本さんの歌、エネルギッシュで大好きです。
画面は3Dとなり、ギルモンがグラウモンを経てデュークモンへ究極進化!皆驚く、これが真の究極進化?そこには騎士デジモンの姿だけでタカトはいない。皆には一体化したとはまだわからない。「ベルゼブモン、悪魔に魂を売り、自ら悪魔となった者!絶対に許すわけにはいかない!」ベルゼブモンを全否定。「俺自身の存在を許せねえだと!そんな台詞は俺を倒してからほざけ!」対峙し走り出す二体。デュークモンの目のアップで終了。小中氏「野沢さんに、グラウモン、メガログラウモン、メギドラモンと獣系の叫びを多く演じて戴き、それらは本当に見事なまでになりきっておられたのだが、やっとヒーローになってくれて、その意味でもアフレコ時に安堵したのを覚えている。/総力戦であった。メギドラモン、ベルゼブモンの凄まじいアニメ―ションもそうだが、ロングの小さいサイズのキャラクターが、実に丁寧に芝居をつけられていた」。前半、後半とも息をもつかせぬ展開で見応えがありました。
小中氏「なぜ私が、パートナーの子どもとデジモンが一体化する展開を望んだかは、もう周知だろうと思う。戦いが激化するほど、無力な子どもが戦闘描写に邪魔に見えるかもしれないという懸念から始まったが、次第にデジモンの掲げる「進化」というフレーズが、単に段階強化のレヴェルを意味するのではなく、字義通りの進化を見たいと思う様になったのだ。/また、デジモンとテイマーという関係性についてもずっと考え続けてきた。シリーズ初期は、カード・バトルの卓越者が、デジモンの戦いをリード、もしくはバックアップをさせるという構図で、液晶ゲームから始まるデジモンを、より実際のファンに寄せる意図があった。しかし、すぐにその関係性というのは危いものだと3話から疑義を突きつけてもいた。即ち留姫とレナモンの関係性だ。/レナモンは、声の印象から成熟した存在という感じに見えているが、判らない事も多い、道半ばの求道者。留姫の「命令」で動く事が自身を進化に導くという契約でパートナーとなった。だが、早期にこの主従関係はぐらつく。当たり前である。レナモンもまた、自我を持つ自律した存在なのだから。/テリアモンと、なるべく平和に過ごしたかったジェンも、闘争する事を好むテリアモンとはしばしば摩擦を生じさせた。/タカトとギルモンに至っては、赤ん坊状態のギルモンから世話をしたのだから、タカトには相当な思い入れや、保護者感覚、そして主導者という意識が育っていった。その最悪な発露が、メギドラモンを生んだ。/しかし、時々タカトは実感していた。ギルモンは友だちなのであって、主従関係なのではないのだと。/13話の二人もそうだったし、そして今話でもギルモンがタカトを導いた。だからデュークモンの主体はやはりギルモンなのだ。だが、タカトがそうなりたい、と強く願った進化でもある。だからタカトも主体の中に居る」。無印、02とはまた違うパートナーシップが存分に描かれたと思う。

次回予告:デュークモン対ベルゼブモン、究極体同士の死闘!ファイナルコールはタカトとデュークモン。

(2022/2/4 記)

 

          もどる