デジモンテイマーズ第37話感想

デジモンテイマーズ第37話「対決スーツェーモン!セントガルゴモン究極進化」感想

脚本:前川淳 演出:梅澤淳稔 作画監督:出口としお 美術:清水哲弘 (2001/12/16 放映)

いよいよ来たスーツェーモンの城。RWの親の事、シウチョンの安全を考え一人背負い込んでテンパってしまうジェンと、自分のデータの危機を悟られぬよう戦うテリアモン。二人の心がやっと通じた時、究極進化が訪れる。タカトに続いての究極進化の回。しかし、スーツェーモンは強い!
南大門を抜けてくる、クルモン救出隊。あそこの赤い場所が朱雀門、スーツェーモンの城。クルモンを求めて。とにかくシウチョンを帰さないと、そのためにはクルモンを、と焦っているジェン。タカトがテリアモンを気遣うが、少し間があって心配ないとテリアモンは答える。小中氏「今話はもしかしたら、コンテでシナリオから時制をテレコ(という業界用語。入れ替える事をテープレコーダーを模してこう呼んだらしい)になっているかもしれない。時系列的にはここからが最初の時制となる。というのは、ここから始めると重いからだ」。
かつてアンティラモンが守っていた、南大門へ渡るゲート前にて。一人座っているジュリには、気まずくてもどうしても伝えねば。タカトは告げる。僕ももう誰もいなくなってほしくないから行かなくちゃ。ルキも近づいてフォロー、ジュリは最初から戦いなんて望んでいなかっただろうし、ルキ自身ももう戦いが楽しいとは思わない。でもこれは逃げられない戦いだと告げる。みんなで帰ろうとタカト、しかしジュリは落ち込んだままレオモンの不在という痛いところを突く。
ジェンの大声が響く。ついて行くと聞かないシウチョンを強く叱責。けがのテリアモンも、勝手知ったるロップモンも行くというので、ごねるシウチョン。ほっといて行こうと、背を向けるジェン。仕舞いには手を上げそうになるが叱責は止まらない。足手まといとの拒絶に泣きだすシウチョン、助け舟を出したのはヒロカズ。ケンタと一緒に残って加藤ととシウチョンを守ると言ってくれた。ケンタも賛同。ルキが皮肉を言うと、揃ってうるせえと。この二人の小学男児ぶり、大好き。ジェンは平静を取り戻し、待っててくれるねと。さあ行こう。ここから南大門を抜け、冒頭の時制に戻る。
朱雀門は見えない程遠い。ロップモンの言うとおり、心配は無用、泡に包まれた一行はあっという間に発進。幼いシウチョンまでDWに来たことが納得いかないジェン。我に会うため、とロップモン。かもね、とルキ。来ちゃったものはしょうがないというタカトに、またジェンは声を荒げてしまい謝罪する。小中氏「ジェンは本来、責任感の強い性格だった。しかしデジタル・ワールド行きは、結局言い出せずままに来てしまった負い目があった。それに輪を掛けて、幼い妹まで来てしまったのだから、追いつめられている」。
ルキも家族が心配してるんじゃと。それでタカトがルキのふりをしてメールを書いたことがばれてしまう。ルキは怒るでなく、恥かしそうに礼を言う。ただし、タカトがハートマークなぞ使ったことにはご立腹(笑。小中氏「2000年代初頭までのインターネットでは、機種依存文字というのは忌み嫌われた。MacとPCで扱う文字コードが異なり、特殊記号は文字化けを起こす元だったからだ。ただ、ハートマークだけは共通していた記憶がある」。今のルキにハートマークはさすがに似合わないかも。
テリアモンに無理させてご免とジェン。モーマンタイと答えるも、もうデータが異変を起こしていることは内緒。
赤く威容を誇る城。スーツェーモンの決意表明「我らの領域を汚し、忠実なる十二のしもべを亡きものにした人間ども。その人間を守る愚かなデジモンを、我は絶対に許さん!」。泡が解け、扉の前で止まる。扉が自然と開き、中に入るとデジモンたちは異様な怒りを感じ殺気立つ。それは城の主の怒り。通路を進み、次の扉がロップモンの言葉で開くと。炎の塊、我が名はスーツェーモン。デジモンの世界を護る聖獣神なり!あまりの大きさと威容に体を震わすタカトとルキ。しかしジェンの決意は固い、クルモンを返せ!
「この地以外のどこへ返せと言うのだ。デジエンテレケイアのあるべき場所はここなのだ!」それは四聖獣からしたらもっともな言い分かもしれない。「僕がやらなくちゃ!」ジェンの焦りを、タカトとルキが両肩に触れて受け止める。僕たちが、でしょ?そう、僕たちが。勇気づけられたジェン、テリアモンを呼ぶ。任せといてと勇ましいが、一部のデータが分解しかけている。しかし、デジエンテレケイア…って、何?
エンテレケイアとは、哲学用語の一つ。アリストテレスによって提唱された言葉であり、完成された現実性という意味。デュミナスというのが可能態という形で現実世界に存在しているというものであり、その可能態がそのものの機能を十分に発揮できた状態で存在しているというものがエンテレケイアという事である。う~ん難しい。
小中氏「今話のジェンの心理状態やテリアモンのコンディションなどは、前川さん独自な作劇。/四聖獣の領域の構造は、私は関与しておらず、貝澤さんと渡辺佳人さんがヴィジュアライズしたもの。中心に深い孔があって、そこにクルモンがいるのだという事は私が指定していた。/徐々に抑鬱状態になっていく樹莉の過程を見ると、またも後年の「神霊狩-GHOST HOUND-」との共通項を見出してしまう。精神的トラウマ、PTSDから如何に脱するかという事が、「神霊狩」のライトモチーフになっていたのだ。しかしテイマーズの樹莉は、徐々に異なる存在の関与によって意味合いが変わってくるのだが、しかし「もう誰もいなくなって欲しくない」という言葉の意味は、字義通りだった。「もう」というのがレオモンが最初ではないというのも、今後に明かされる」。ジュリの実母の写真から、もう想像はつきますが。
三体とも、完全体へ一挙に進化する(タカトはDアークが変わったので新ヴァージョンに差し替え)。マトリックス・エボリューション!三体揃い踏み。しかし嘲笑うスーツェーモン。行くぞ!ジェンがラピッドモンの異変にやっと気づく。
「我らが真に戦うべきはお前らなどではない」火を噴くスーツェーモン、三体とも一撃で地に打ち付けられる。「強き者のみが生き延び、我らは繁栄してきた。最早人間の力など必要ない。だが、お前たち人間の作りし災いに、今我らの世界は崩れ始めている」。タオモン、ルキらを守るために結界を張るが、防御で精一杯で、究極体進化は望めない。
アークのノイズを見続けるジュリ。様子がおかしいのでケンタがヒロカズを呼ぶ。シウチョンを見守っていたヒロカズだが、ガードロモンに「しっかり見ていてくれ」と頼む。
スーツェーモンの炎に吹き飛ばされ、メガログラウモンは結界を破ってしまう。追撃に、子どもたちをとっさにかばう。ラピッドモンのホーミングミサイルは、データ不良のため不発に終わり、壁に打ち付けられてしまう。
スーツェーモンはロップモンにデーヴァに戻るよう言うが、他に帰るべきところありというので、攻撃されてしまう。ロップモンの危機を知ったシウチョン、死んじゃやだと念じると、Dアークが光り、体が浮いて朱雀門へと飛んでいく。ただ見守っていただけのガードロモン、ヒロカズの当てが外れた。
ラピッドモンはもう形を維持するのも難しく、ジェンはシウチョンの事に夢中でテリアモンのダメージに思いが至らなかった事を後悔、涙。ラピッドモンついにはテリアモンに退化。駆け寄るジェン、テリアモンは言う、僕が僕がって何でも自分で背負い込んじゃうの、悪い癖だよと。そう、仲間がいる。
そこへシウチョンが飛んでくる。ロップモンが呼んだんでしょと。結局来てしまった。なら負けるわけには。「僕の帰るところはジェンのうちだ」「みんなで帰ろう」皆、うなずく。だから今は、あいつを倒すしかない!
小中氏のブログ「今話のテリアモンは02映画「デジモンハリケーン」で初登場した時の、健気なテリアモンが甦っている。これがテリアモンの本質なのだろう。/この場面がエモーショナルなのは、台詞、演技が見事だからだが、音楽の力も大きい。「冒険者たちの戦い」の「プログラム起動」」。
「タカトがのたうち回った挙げ句にギルモンを取り戻し、恐る恐るながらもギルモンの後押しでデュークモンへと進化出来た。それに続くジェンと留姫は、「そういう進化の仕方もある」と認知しているだけでも有利ではある。形状形態理論的な捉え方だが。/しかしこの「真なる究極進化」を為すには、ポジティヴな面だけではなく、パートナーのネガティヴな面も受け容れた上での相互理解が必要なのだ。だからこうした苦しみを経ないと到達出来ない」。(中略)「作劇的には、いつもクルモンの奇跡を頼りに進化させてきたのだから。最終的には経験を積んだ自分たちのポテンシャルで進化させたかった、というのが大きい。/(マトリックス・エボリューションは)英語版ではBiomergeと呼ばれていた様だ。バイオとデジタルがマージ(統合)されるという意味合いの言葉は、確かに言い得ている様に見えるが、私は賛同しない。デジタル・ワールドの中で子どもたちはデータ化(デジタイズ/メタファライズ)されているのだから、デジモンとのデータ・マージは、困難ではあっても無理な事柄ではない。だから第三部はなかなか究極進化出来ないという事になるのだが。/ここで統合されているのはやはり、個々の精神性であって、しかもそれぞれの自我が残っている。だからバイオマージという言葉では足らないのだ」。パートナーのネガティブな面も。過酷な通過儀礼。
テリアモンのキャラデザと設定について。「テリアモンの究極体のデザインを最初に見た時、実はかなり困った。一番小柄なテリアモンが、セントバーナード犬型で最も巨大になるというのは、ギャップとして面白い。しかし重火器装備の歩く要塞的なこの巨大ロボにどういう活躍をさせられるだろう。ガンダムで言えばガンタンクの様な、ポジションとしては愛されるものの、あまり活躍の場が与えられない状態になるのを危惧した。/ジェンリャがカンフーを習っている事にしたのは、このセントガルゴモンのデザインが元になっている。火器装備と装甲は分厚いが、意外と細い手足─というのは渡辺けんじさんのデザインの一つの特徴でもある。これを活かして、躍動的にアクションをさせようと思ったのだ。しかし小学生がそうそう格闘に優れる筈がない。誰か「師匠」に学んでいないと説得力がない。/という事で趙先生というキャラクターが作られ、当初は名前だけを出して、後に実際に道場での稽古場面が描かれた。そして、その稽古の様子をテリアモンも見ている必要があった。ジェンだけが自分の動きをイメエジしても、それを肉体化させるのはテリアモンだからだ。/趙先生には、デーヴァの一般論的な解釈を説明する役割も担い、この一貫は前川脚本で通底された。/セントガルゴモン進化バンク。コンテ/演出:荒牧伸志 作画:中鶴勝祥」。確かにギャップは凄かった。メカメカしい上に顔が「忠犬!」なのでイメージが変わる。ちょっと笑ってしまった。あのミサイルに付いている顔がかわいい。よく考えた上での設定という事で、力の入れようがうれしい。
本気モードが高まっての究極進化!おお又も小五の全裸、きれいです。小中氏「貝澤さん演出/すしおさん作画のガルゴモン進化バンクを踏襲し、3Dで描いている。「One VisionセントガルゴモンVer.」のイントロはギター・ベースがユニゾンのハード・ロック」。朱雀門から光が放たれて。
クルモンは、まだ進化種鞘部にいる。上に暖かい光を見出して、登っていく。
ルキのアークで表示「セントガルゴモン、究極体、マシン型デジモン」。ジェンとテリアモンの意識と身体が重なって「僕たち一つになっちゃったのさ」。
スーツェーモン「人間とデジモンが共に進化するだと?許すまじ、断じて許すまじ!」。怒るあまり城内にも関わらず羽根を広げるスーツェーモン、城の上部が崩れ落ちる。セントガルゴモンが拳法を繰り出し、スーツェーモンを数発痛打。バーストショットに加えジャイアントバズーカ発射。バズーカの笑顔、笑。スーツェーモンの胴体を直撃、地面が崩れそこへ落ちていく。静かになったが、奈落の底がどうなっているのかは見えず。体格差をものともせぬ攻撃で、勝利…?しかしスーツェーモンは復活!さあ、どうする!
テイマーズで描きたかった人とデジモンの一体化とは。小中氏「人と大型ロボットが一体化するという例は、かつて幾つかあった。だが、最初に私がイメエジしたのはデュークモンが「宇宙の騎士テッカマン」に似ている(白い西洋甲冑)と感じたところから始まる。私が一番好きだったタツノコプロのアニメが「テッカマン」だった。主人公は茨の様なワイヤーに取り巻かれてぺガスという「馬」役にもなるロボットの中でテッカマンに変身する。変身する時、主人公はその苦痛に堪えていて、荒牧さんと相談していた時、よく例に出していた気がする。/「勇者ライディーン」など、融合(フェードイン)までは魔法的なものの、実際に動き出してからはコクピットで「操縦」するので、これらは参考にはならない。「アストロガンガー」は、子どもが融合するが、融合している時の内的描写はなかったと思う。/ジャンボーグA、同ナイン、或いはビッグオーみたいにマスター・スレーブ方式(操縦者の動きにロボットが追従する、という意味なのだが、この言葉自体も狩られているのかもしれない)に見えては絶対にならない。/だからテイマーズで描こうとしているものには先例となるものが殆ど無かった。光の帯でデジタル感を演出しているものの、実のところここで描いているのは、かなり精神的な結びつきなのだ。小学生にしては過酷に過ぎる通過儀礼を経て、やっと辿り着くのだ。だから「融合」などとは言葉にしないし、あくまでこれも一つの「進化」なのだとしか言えない。光の球体の中にいるジェンは、その精神だけが抽出されている状態なのだ。普段の洋服を着た状態だと、特にセントガルゴモンは「操縦」している感が出てしまう。今話では、気合がジェンで、実際の打撃の時はテリアモンと分けていて、よく分担されている感が生成されていたと思う」。一体化、「操縦」感を出さないために、並々ならぬこだわりでこれが生まれたんですね。先例がないとは、生みの苦しみも大きかったでしょう。

次回予告:スーツェーモンの言う「真の敵」とは?チンロンモン、シェンウ―モンも登場し、いったい何が起きるのか。ファイナルコールはタカトとルキ。

(2022/2/8 記)

 

          もどる