「明かされる過去 非情!ギズモン:AT」
脚本:山口亮太 演出:今沢哲男 作監:浅沼昭弘、竹田欣弘
対峙するメルクリモンと大の拳を止めたのは、イクトの声だった。
ユキダルモンが森を行くと、人間の赤ちゃんが泣いていた。呼ばれた名はイクト、しかしデジタルゲートは閉じ、イクトはユキダルモンに育てられることになる。
イクトは、自分が人間で本当の母がいたと知ったことをメルクリモンに言うと、ゴツモンにイクトを殺せなどと命令していないとメルクリモン。ゴツモンの嘘はばれた。イクトは、人間が嫌いだったが大たちと出会って悪い奴ばかりじゃないと知った、ファルコモンと友だちになれた、人間とデジモン戦う必要ないと訴える。しかし倉田はデジモンは害な存在だとメルクリモンに銃を向ける。メルクリモンは、倉田こそがユキダルモンやたくさんのデジモンを殺した張本人だという。やはり話は違った。
昔メルクリモンは人間がいると聞いてユキダルモンのところへ来るが、ユキダルモンはイクトを渡さず、母親になる決心をした。ユキダルモンは我が子のようにイクトを育てた。だがその絆を断ったのは倉田だとメルクリモンは言う。
しかし倉田は、人間は被害者だという。探検隊で倉田はデジモンに襲われて銃を撃ったというが、敵意を見せなければデジモンから襲ってはこないと英(郷田ほづみさん)は言う。結局その銃がデジモンを怒らせ人間を敵と認識させた。以来探検隊はデジモンから逃げ回り無限氷壁へたどり着いた。サーベルレオモンから逃げるため、倉田はまだ不完全な時空震動爆弾を使って人間界へ戻った。
最後まで逃げずに真っ向勝負したのが英だったとメルクリモンは振り返る。なぜ神聖なるデジタルワールドに来るのかとメルクリモンが問うと、そこに新しい風が吹いているからと英は答えた。土足で踏み荒らすつもりはない、神隠しにあった人間を捜索するのが目的だという。メルクリモンもイクトの無事を正直に伝えた。そしてメルクリモンは英にイグドラシルというデジタルワールドの神というべき存在に会うよう勧めた。人間とデジモンの調和にはイグドラシルの承認が必要なのだ。神だから感じる事は出来るが見えないしどこにでもいるしどこにもいない。メルクリモンはデジタルゲートを守らねばならないのでここを離れられないから、英はイグドラシルを探しに旅に出た。
薩摩隊長は、大門博士は生きているという。デジタルワールドからデジヴァイスの設計図が届いたのが何よりの証拠だ。人間界にさ迷い出たデジモンを帰すDATSの創立も博士の意思だ。
調和が乱れたのは、倉田がデジタルワールドに攻め込んでからだ。倉田は部隊を率いて無差別に殺戮と破壊をし、抵抗するリボルモン(小島一成さん)たちにもギズモンなるデジモンで、デジタマも残らない殺戮を行い、ユキダルモンもその時殺された。イクトが来てからこの森はおかしくなったとゴツモンは言いがかりをつけたが、ユキダルモンの遺志を継いでこの森で戦士として生きろとメルクリモンは指示した。
ここの描写はわたしはちょっと引っかかります、現実に地球ではたくさんの少年兵士が育成されている児童虐待的な国際情勢を肯定するように受け取れるので。10代かそれに満たない子供が銃を持たされ民族のためと教えらえているのです。少年だけでなく、少女も家政婦や慰安婦として動員されます。さらに言うなら、イスラム圏では女性の地位が低いので、わざと女性兵士を育てて男性兵士を辱めたりもする、そういう厳しい現実を認識しておいでですか?セイバーズは、まさにそういう年齢層の子供向けの作品です、脚本家さんスタッフさん!!祖先や故郷を守る気持ちは普遍的なものではあるのだけど、それは中立的な国際教育の前提があってこそ成り立つもので、それなしには単なるナショナリズムやテロリズムに容易に通じてしまう事に、細やかな配慮が欲しい。まあそれを言っちゃうと、ポケモンみたいにバトルが終われば友だち―!試合が終われば仲間―!てなキッズ作品しかなくなっちゃうんですけど。やっぱりデジモンという作品には、命を大事に扱ってほしいからこの事も頭の隅に常に置いてほしい。
倉田は人間にとってデジモンは全て敵、人間を守るのが自分の使命と主張する。そしてギズモン:AT をリアライズしメルクリモンを襲う。