デジモンとの出会い

デジモンとの出会いは、02の後半からだ。

子供のころ、取り立ててアニメを制約されるでなく勧められるでもなく育った。カルピス名作劇場はよく見ていた。小学校の卒業文集に「ハイジの山小屋に住みたい」と書いた。

幼かった息子がアニメを見るようになり、自分は聞き流していた。映画化すると子が見たがるので東映アニメフェアに行き「劇場版デジモンアドベンチャー」を見たが、何の記憶もなく過ぎた。「ぼくらのウォーゲーム」は上野の映画館で見て、おもしろかったので上野公園に向かう途中で思い直し、映画館へ戻りビデオを買ったのを憶えている。

02の、賢ちゃんがカイザーから改心するあたりで気づいた「何なんだこのアニメ?」。それで、レンタルビデオ店で無印を借り、夜中に一人で短期間に集中して何度も見た。そして、ひどく感動した。心身が変化するほどの衝撃だった。悟りの境地というか、体が輝き(実際、会う知人友人に「光ってるよ」と言われた)、頭が冴えわたり、視界が180度ならぬ360度開け、絶対音感が備わり生活音の全てがドレミで聴こえ、美しいメロディが絶え間なく頭に浮かび、すれ違う知らない人にも最大の誠意をもって接した。数か月で自然と消えた。

トランスパーソナル心理学で言うところの「至高体験」という素晴らしい現象だが、一部の精神科医にとっては病的な軽躁状態との診断かもしれない。

当時はIT革命。友人が古いパソコンを譲ってくれた。ネットに接続するほどの機能がないパソコンだったから、ネットするたびフリーズ。でも必死で東映アニメ公式掲示板に書き込みを続け、主に大人のデジ友さんとそこで出会った。デジモンがよく載るアニメディアを買い始め(アニメージュは好きなのがある時だけ)新しいパソコンを買い、丈先輩1号と名付けた。夏にキーボードに額からぼたぼた汗しながら夢中で打った。お台場に何度も行った。コミケに初めて行った。ゲームやアニメのイベントで、和田さんやAiMさんにお会いした。

Vジャンプ2001年4月号テイマーズチャットルーム、読者からデジモンイラストを募集しており「ハイテクメカデジモン」のお題に、わたくしの「メシノリモン」なるオカマ型デジモンが採用されております(本名ばれる、笑

デジ友さんの紹介で、角銅博之様にお会いした時は、胸が熱く、そこにさえぎる机がなければ私は彼をハグしていたと思う。泣きそうだった。彼がいなければ、今の私はない。第3台場に、松井伸太郎様にもお会いしに拓也のソフトコスプレで行った。WELOVEDiGiMON MUSiCの青いTシャツにサインを頂いた。

他のアニメも、よく見るようになった。

無印は私の人生を変え、02は無印を見るきっかけを作ってくれたから、殿堂入り。命というよりたましいの恩人。

テイマーズは、話はちょっと陰気だったけどキャラデザがアドより繊細になって好きだった(特に瞳の構造と鼻の孔)。啓人のビジュアルと声が、前作の熱血よりやさしい主人公でかわいかった。新宿の都庁と公園のギルモンハウスの聖地巡礼も息子と行った。アニメディアの歌と音楽集CDジャケイラスト募集に応募したが落選。採用されたイラストは、博和と健太がいなかったので補作で追加され発表された。

Zeppお台場のデジモンコンサートにも、デジ友さんと行った。その時、私らの事かはわからないが「子供にもコスプレさせてる」という批判がネットであったそうだが、私は息子に意思をきちんと確認している。それより、ティーンが会場を埋め尽くし幼い子に配慮のなかったのはどうかと思う。

セイバーズは、保志さんは私はやさしい繊細なイメージを持ってたのでバンカラな番長キャラというのがしっくりこず、新垣さんは正直棒読みで、女優として売れてからはデジの声優だったのを過去恥部扱いしてる印象があり(少なくともデジ声優と私は見られない)、あまり好きでない。でも、詳しい感想文をいくつかアップして、「人間のキャラデザは違うしデジとしてはちょっと別物だな」と思いつつそれなりに関心はあった。

フロンティアは、一番好きな女性声優さんの竹内さんが主人公だし、メインキャラで初のデブキャラのダミ声の純平も好きだった。輝一の蘇生のシーンは感動だった。デジモンのデザインが多彩で最も洗練されており、スサノオモンがデジモンキャラのデザインで一番好き(2番はオメガモン)。フィギュアを買わなかったのを今も後悔している。歌と音楽も、全シリーズの中で一番好きだ。

クロニクルは、当時忙しくてほとんど見られなかったけど、その範囲では、あまり感動がなかった。有澤孝紀さんが亡くなり、音楽が別の方になって好きにはなれなかった。 主人公の声も、どうしてもコナン君の印象が強くてのれなかった。

そうして、このサイトを開くに至りました。

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